手塚治虫さんが描いた覚えない冊子が電気事業連合会を通じて全国の電力会社に納入され、東京電力福島原発のPR館でも無料配布されたという。物語は、寒さで凍える動物を救おうと、アトムが動物と力を合わせてジャングルに原発を造る。続編は、やがてきた地震と津波に原発はびくともせず「安全でした」といって終わる。
手塚さんは「描いた覚えないの。許可した覚えもない」と冊子への関与を否定した。さらに「僕も原発に反対です。はっきりそう書いてください」と写真撮影用に「原発反対のポーズ」までとってくれた。手塚さんはこのインタビューの約8カ月後、胃がんで亡くなった。
◆アトムの涙 手塚治虫が込めた思い 描いた覚えない冊子
(2013年4月18日 東京新聞)手塚治虫のキャラクター「鉄腕アトム」が原子力発電所をPRする冊子「アトムジャングルへ行く」は、現在は既に解散している「漫画社」という広告企画会社が、1977年に刊行した。
漫画社社長を務めた樋口信(75)によると、冊子は電気事業連合会を通じて全国の電力会社に納入された。当時の報道では、東京電力福島原発のPR館でも無料配布されたという。翌年には、続編「よみがえるジャングルの歌声」も作られた。
物語は、寒さで凍える動物を救おうと、アトムが動物と力を合わせてジャングルに原発を造る。続編は、やがてきた地震と津波に原発はびくともせず「安全でした」といって終わる。
「手塚さんがこんなことしていたら漫画界の恥だと思い、真意をただそうと押し掛けたんです」。編集者の才谷遼(60)は続編を目にして驚き、パーティー会場にいた手塚を訪ね、取材を敢行した。88年6月のことだ。
多忙でいつもはすぐ消えてしまう手塚が「大切な問題だから」と時間をつくってくれた。
取材に対し、手塚は「描いた覚えないの。許可した覚えもない」と冊子への関与を否定した。さらに「僕も原発に反対です。はっきりそう書いてください」と写真撮影用に「原発反対のポーズ」までとってくれた。
手塚はこのインタビューの約8カ月後、胃がんで亡くなった。才谷はこの取材結果を、原発をテーマに編集した本「図説危険な話」で発表した。
マネジャーだった手塚プロダクション社長の松谷孝征(68)によると、手塚のもとには生前、電力各社から「PRに使わせてほしい」という依頼が何度もきていたが、そのたびに断っていた。
「原発PRにアトムを利用しようとするのは間違っている」と話すのは、漫画評論家で同志社大教授の竹内オサム(61)。「原作を読まず、上っ面のイメージだけで頼みにくるんでしょうね」
樋口は「手塚プロの承諾は受けているはず」と無断使用を否定するが、松谷は「もしそうならチェックのための原稿が上がってくるはずなのに、私はそれを一度も見たことがない」としている。
◆アトムの涙 手塚治虫が込めた思い 科学とエゴのはざまで
(2013年4月19日 東京新聞)東京電力福島第一原発事故の後、インターネットの掲示板などに「鉄腕アトム」への批判的な意見が相次いだ。多くは「原発のイメージアップに加担しているのではないか」という書き込みだ。
手塚治虫の長女るみ子(48)は不安に駆られ、何度も声を上げそうになったが、そのたびにファンが反論して“疑惑”を打ち消してくれた。
おかげで今はそんな批判も、冷静に受け止められるようになった。「あらためて原作を読み、真意をくみ取るきっかけにしてほしい」
有名なアトム誕生のエピソードからして「父の思いがよく出ている」とるみ子は言う。わが子を失った天馬博士が悲しみのあまり、息子そっくりのロボット、アトムをつくる。博士は最初は喜んでかわいがるが、成長しないアトムにいらだち、ついに追い出してしまう…。
「幸福のためにあるはずの科学技術が、人のエゴや欲でゆがめられてしまう。アトムはいつもそのはざまで悩んでいるんです」
手塚は1985年夏、東京・西新宿で開催した「手塚治虫漫画40年展」で1枚の風刺漫画を展示した。
米国が行った核実験で被ばくした「第五福竜丸」が海に浮かんでいる。アトムに向かって「この原子力ロボットめ、死の灰を降らせるな!」と叫ぶ村人たち。涙を浮かべたアトムに、手塚はこうつぶやかせている。「ボクは正義の味方だと思っていたのになあ」
「アドルフに告ぐ」 「グリンゴ」など手塚は後年、社会派の作品を残した。時流に敏感な手塚が生きていたら、原発事故から着想を得て、シリアスな人間ドラマを描いたに違いない。
「なのはな」 「プルート夫人」など、福島の事故後、原発をテーマにした作品を次々に発表した漫画家の萩尾望都(63)は、「鉄腕アトム」が原発と関連づけて語られることにやるせなさを感じ、こんな「アトム最終回」のあらすじを考えた。
原発の事故直後、アトム、コバルトの兄弟と妹ウランが一緒に、放射性物質の除染のために福島に向かう。3人は発電所内で除染を終えた後、壊れて動かなくなる…。
「その物語を、いつか私に描かせてほしい。(福島の現状を見て)手塚先生は、きっと許してくださると思うんです」(文中敬称略)