これは激変である。
日本はこれまで、戦争を放棄してきた地球上の唯一の大国だった。
【この平和主義は、軍事力による解決を少しずつ断念しようという方向に向かってきたこの世界にとって、いわばアヴァンギャルド的なモデルとして通用してきた。】
だがそのユートピアも崩れ去った。
(スイス紙、Le Temp 2015.9.19)
これが、紛れない、世界から見た、客観的な日本の今の姿だ。
一時の気の迷いは、誰にでもある。
お爺さんが、戦後間もない頃から、戦犯として扱われ、敵国のエージェントとして政局を操ってきた事実は、受け入れがたい屈辱であることは、理解できないわけではない。
しかし、その怨念、執念は、残念な形で発露しようとしている。
この国会の決定は歴史に残ることだろう。
なぜなら、日本はこれによって、憲法に保証された平和主義のページをめくることになるだろうから。
(スイス紙、Le Temp 2015.9.19)
今、必要なのは、冷静に自己像を見極める眼だ。
拍手喝采をしているものがいる?
当たり前ではないか。
皆、無限金融緩和真っ最中の、日銀の当座預金口座ある二百数十兆円のキャッシュのどれだけを自国に持ってこられるかで、嬉々爛々としているのだ。
その内訳は、日本にアベシの欲しがる常任理事国への投票権の一票であろうが、出来損ないの誰も買わない(自国ですらも、イスラエルでさえも)オスプレイだろうが、かまわない。とにかく、そこにある「キャッシュ」が喉から手が出るほど、欲しい、欲しくて欲しくて、たまらないのである。
日本はこれまで米国によって保障されてきた近海の安全の相応負担分を受け持つべきであると、ワシントンは拍手する。
紛争があれば、同盟国日本は今後、国境を越えて、アメリカに支援を提供することになるのだから。
(スイス紙、Le Temp 2015.9.19)
それは、もう、拍手喝采。(ある国を除いてね)
そして・・・その「ある国」・・・
今回の、その世界が夢見た「日本のアバンギャルド」の瓦解、平和主義からの大転換、戦争放棄の放棄・・・
中国はそこに日本の軍国主義の再来、ファシズムの台頭をみることであろう。
そのような短絡な見立ては馬鹿げているかもしれないが、それが、戦後、真の意味での和解に至ったとは言い難い両国間の昨今の緊張の高まりを示すものであることは確かである。
(スイス紙、Le Temp 2015.9.19)
これもまた、客観的な、当然至極な視野であろう。
これのどこに、少しでも「日本が、より平和になる」顕在的、潜在的可能性があると言うのだろう?
幸いなるかな、今回の法改正においては、憲法改正の手順が、省略された。
そのおかげで、一縷の望みが残されている。
憲法9条、憲法13条は、いまだ健在である。
憲法を違憲解釈しさえしなければね。
この「怨念、執念、残念」に、日本国憲法に、指一本触れさせない。
これが、戦争を経験したわけでもなく、戦後の復興に血反吐を吐いてきたわけでもなく、「恒久平和」の旗印に守られてきた世代の、未来世代に対するレゾン・デートル(存在意義)ではあるまいか。
その非戦のDNAは、日本人の遺伝子プールに深く刻まれているはずだ。
最近の若い人たち(T-ns SOWL, SEALDsといった)の、当たり前のような、疲れを知らない、どこまでも諦めない必死の形相を見るにつけ、つくづくそう思う。
Source:スイス紙、Le Temp 2015.9.19
原文:http://www.letemps.ch/Page/Uuid/a10952fc-5e25-11e5-af59-94bd5b6861b3/Ladieu_au_pacifisme_nippon
訳文:http://mnagasaka.exblog.jp/22189568/