お墓参りに行くと、ひと際オレの目を引く戒名がある。
「比島院英照利劍禪清居士」
戒名の下には「英霊」の文字…
遺影は、まだあどけなさが残る海軍服姿だった。
爺ちゃんの弟。
彼はフィリピンで戦死した。
「昭和19年10月27日」とあるから、たぶん「レイテ沖海戦」での戦死と思われる。
母方の爺ちゃんは、傷痍軍人だった。
中国で負傷し、一生右足を引きずったままだった。
父方の新宅(爺ちゃんの別の弟?)は、開拓団で満州へ行った。
引上げの時は、それはもう悲惨だったと聞いている。
その際、子どもを一人亡くしている。
オレの周りだけで、コレだけの戦争エピソードがある。
彼らを死地に追いやったものは、何だったのか?
戦時中の異常な空気がそうさせたのか?
オフクロは最近しきりに言う…「あの頃の空気に似てきた」と…
今のこの国の、平和と繁栄(と言っていいのか?迷う昨今)は、数多の戦争犠牲者(軍人も一般人も)の屍の上に成り立っているということを、忘れてはならない。
そして、彼らが遺してくれた最高の財産が、「日本国憲法」である。
戦争への反省から生まれた、平和と人権尊重の憲法。
この憲法を大切にしていかなければ、ご先祖さんの罰が当たるってもんだろ?
ってなことを、毎年お盆と終戦記念日を迎えると思うのである………